« 風鈴CD | トップページ | お墓参り »

「切欠」って?

20090809_11 最近、あるサイトで目にした「切欠」という熟語・・・ネットで調べていったら、どうやらこれ「きっかけ(≒動機)」という意味で使われているようですね。
ところが、いわゆる「きっかけ」は、漢字で書くなら「切っ掛け」が正しい。なのに、なぜ「切欠」と書く人が多いのか?

それを分析したblogなんかも結構あったのですが・・・実は「切欠」という地名があるのです(読みはもちろん「きっかけ」です)。そのせいで、パソコンで打ち込んで変換すると、これが出てくる場合があり、検証しない人がそのまま採用していった結果、今のように増えてしまったということのようです。

ところで、「表現の手段」ということを考えたときに、「小説」という方法が目に留まり、それがきっかけとなって読んでいた“例の本”を、やっと読み終わりました。

『書きあぐねている人のための小説入門』(保坂和志)。

前回までの記事:
伝えたい気持ちと表現の手段 -1-
伝えたい気持ちと表現の手段 -2-

私の場合、気になるところがあると、線を引きながら読み進めるクセがあるのですが、この本はもう線だらけ、、、sweat01
たとえば、

人間の能力というのは奇妙なもので、最初の一作のために全力を注ぎ込んだ人には、二作目がある。しかし、力を出し惜しんで、第一作を書きながら二作目のネタを残しておいた人には、二作目どころか第一作すらない。

これなんかは、小説以外のあらゆることに当てはまると思うんです。
また、

ていねいに書けば伝わるとは限らないのだ。

なんてのは、やっぱり小説に限らないことで、特に日本の場合、短歌や俳句などといった表現形式もあるので、それを考えるとよく分かりますよね。絵画なんかもそう。
それから、

「ほめられたい」とか「見直されたい」なんて根性で小説が書けるわけはなくて、小説とはやっぱり「義務感」や「使命感」で書くものだと思う。
   ・・・(中略)・・・
登場人物の全員は「義務感」によって生きている(「義務感」は「神の恩寵」にとても近いところにある)。世間や社会に対する「義務感」ではなくて世界に対する「義務感」だ。

なんていうくだりも、うまく説明できないけれど、なんか身体が納得する感じ。これはおそらく、表現活動をしている人は皆さん納得のいくところではないでしょうか。
もっとも、そこまで意識することなく、せずにはいられないからやっている、という人が多いとは思うんですけど。

・・・ということで、もともとは自分の表現手段をひとつ増やしたくて読み始めた本でしたが、小説という枠にこだわらず、いろいろなところで応用が利く考えがたくさん書いてあり、予想以上に参考になったり、感銘を受けたり、ものすごく得るものの多かった本でした。

さて、明けて今日(8/16)は、母と一緒に父のお墓参りに行ってきます。
あんまり暑くないといいなぁ。。。

« 風鈴CD | トップページ | お墓参り »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 風鈴CD | トップページ | お墓参り »

2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

つぶやき

  • Twitter

お気に入りサイト