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教材としての『羅生門』

今週も日程の変更があり、月曜の夜ですが家にいます。

さて、高校生に国語を教えている関係で、『羅生門』を読みなおしました。教科書に掲載されているものでしたので、高校生向けに言葉の注釈 も書かれています。

そこで驚いたことがひとつ。

 ― お○のように執拗く(しゅうねく)黙っている。

という表現があったのですが、「執拗く」についての注釈。(以下引用)

しぶとく。じいっと。「お○」は身体的な差別意識を含むことばであり、「お○のように執拗く黙っている」というたとえは、侮蔑的な表現として現在では使われなくなっている。

「お○」という言葉自体は、ここよりも前の箇所に出てきているにもかかわらず、そのときにはなんの注釈もなく、「執拗く」というところで初めて触れています。
前の箇所で出てきたときには、「永久にお○のごとく黙っていた」とあるだけなので、それほど差別意識が入っていないということなのでしょうか。

それにしても、差別用語の扱いって難しいですよね。
仕事柄、というだけでなく、「言葉」については前々からけっこう敏感だったし、あれこれ考えたりもしてきましたけど・・・確かに「寝た子を起こす」結果になってしまう場合もあるとはいえ、言葉の正確な意味を教えず、今はこんなふうにぼかしてしまっている、という事実に驚きました。と同時に、仕方ないことなのかな、とも。

言葉の意味に限りませんが、「何かを伝える」というのは、お互いの共同作業であるので、両者にある程度共通の土台や理解がないと、正確なところは伝わらないと思うのです。そして、差別意識のようにとても微妙なニュアンスは、伝える側の中立さ、人間力など、いくつかの要素がないと伝え切れないものでもあります。さらに、受け取る側にも理解できるまでには準備が必要でしょう。それを考えると、教科書で触れられるのは、せいぜいこの程度、これが無難な範囲、とも考えられます。

それから、言葉づらだけに振り回されてもいけません。言葉は乱暴でも、温かい心がこもっている場合もあれば、その逆の場合もあります。発せられた声、声やその人の持つ雰囲気・・・なんていうんでしょう、そこになんとなく漂っている空気というか、そんなものを感じとってみると、言葉とはまた違うものが受け取れることもありますね。

…本題から、だいぶ外れてしまいました。(^^ゞ

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